記事内に広告があります。
前回は主に私が勤務していたブラック企業で扱っていた商品についてお話ししました。
教材1セットが約100万円。
一般家庭では中々手が出せない金額ですよね。
今回は営業の手口についてお話ししようと思います。
手口と言うと聞こえが悪いですかね。
営業方法というか営業方針と訂正しておきましょう。笑

私は中学生対象の教材の販売部署だったので中学生の居る家に行かなければいけません。
でも、その中学生の居る家をどのようにピンポイントで探し当てるか?
その場でリサーチして1件1件探しながらでは時間がいくらあっても足りません。
そこで手っ取り早いのが名簿でした。
当時は学校のクラス毎に緊急時の「連絡網」というものがありました。
今はそんなものがなくてもスマホのラインなんかですぐに情報を共有できる時代ですから、今の子供さんは知らないでしょうね。
その連絡網には生徒さんの名前と電話番号、住所まで掲載されているものがほとんどでした。
その住所をたどって片っ端から訪問してアプローチしていくのです。
ちなみにその連絡網は契約してくれたお宅などで
「他の生徒さんにもこの診断テストや教材を紹介したいから クラスの連絡網とか見せてほしい」というようなことを言って貸してもらって集めてました。
その頃はまだ卒業アルバムの後ろの方にも卒業生の住所が載っていたので卒業アルバムも結構重要でしたね。
もっと昔にはプロ野球選手の選手名鑑にプロ選手の住所も掲載されていたらしいです。( ゚Д゚)
まあ、そんな使われ方をしてるということも掲載されなくなった一因でしょう。笑
そのありがたい名簿の住所の場所を住宅地図で探して印をつけて現地へ行きました。
5人くらい1組のグループ分けされており、そのグループのリーダー(主任や係長クラスのえらいさん)の運転でターゲットの地区まで行くのですが、その車の中でも営業トークの練習とかさせられて地獄だったという記憶しかありません。笑
営業自体は1人で回るので順番に車から降ろされてました。
地図と資料、学力診断テストという商品を持って歩き回りましたね。
基本的にはインターフォンで切られてました。笑
インターフォンで「どなたですか?」と言われても名乗るなという上司もいました。
営業テクニックか何か知りませんが。
「○○さんお願いします!」だけで出てきてくれる善良な人は中々いません。
ましてここは大阪です!笑
さらに当時はカメラ付きのインターフォンなんかまだ普及してなくて顔も見えない状態です。
そこへ誰か聞いても「お願いします」だけで名乗らない人のために玄関を開けてくれるわけもない!
まあ、今だからそう思うけど
当時は上司にそう言われたら言われた通りするしかなかったんです。( ノД`)シクシク…
学校が終わって部活をやってない子は帰宅するくらいの夕方4時前くらいから夜9時までひたすらテストを受けてもらえる中学生を求めて歩き続けました。
私はトークは苦手なので苦手意識が先行して思うように会話ができないのが現状でした。
ちょこちょこは契約してもらえましたが、中々次につなげることができず単発単発という感じでした。

9時過ぎくらいに待ち合わせ場所でチームリーダーが車で迎えに来て全員で事務所に戻ります。
その帰りの車内も地獄でした。
坊主(契約0件)が続いたりするとひたすら詰められます。(´;ω;`)ウゥゥ
「なんで売れんの?」
「何してたん?」
「どうしたら売れるん?」
「これからどうするん?」
みんなひたすら反省を口にしていましたが。
「ロープレ(練習)通りしゃべれませんでした」
「子供はやるって言ったんですけど親にダメって言われたので、親に話が伝えられてませんでした」
などだいたい反省の内容は限られてきます。笑
私のチームリーダーは役職は主任の下のリーダーで、チームリーダーの中ではペーペーの方だった(失礼な言い方ですみませんm( _ _ )m)のでまだ優しい方だったようです。
他チームの同期は普通に殴られたり蹴られたりしていたそうです。Σ( ̄□ ̄|||)
それが当たり前のような空気の会社でした。
「当たり前のような」ではなくて「当たり前」でした。笑
22時くらいに事務所に戻って事務処理をして次の日の準備をして終電間際で帰るというルーティンになっていました。
今考えると「仕事」っていう感じじゃないですよね。
「仕事をしてる」っていうよりも「怒られないようにいかに時を過ごすかを考える」毎日になってたような気がします。
人生で一番心身共に超不健康な期間でした。
大学時代にテキトーだったツケが回ってきてたんですかね。😱笑